思い出募集

思い出投稿

  • 関内っ子 より

    2025年7月7日

    関内駅の下に大岡川が流れていた頃から、センタービルに行きました。
    なんか寂しいなあ。ありがとうセルテ!

  • ベイスターズ命 より

    2025年7月7日

    忘れもしない、1998年のベイスターズ優勝!セルテ前で盛り上がったのが、忘れられない思い出です。今年も盛り上がりたい!

  • ディスコおやじ より

    2025年7月7日

    センタービル時代からあったディスコ「カウベル」。青春の思い出です。
    背伸びして大人ぶって、カッコつけて、突っ張って、楽しかった。

  • ピカリンリン より

    2025年7月7日

    楽器を習いに通ってます。レトロだけど駅前で便利。
    残念無念だなあ、無くなるの….

  • 大魔神くん より

    2025年7月7日

    ハマスタ行く前に、地下のスーパーで飲み物食べ物仕入れて、
    試合後6Fでワイワイするのが定番コースでした。来年からどーしよー?

  • はまっ子ケンちゃん より

    2025年7月7日

    無くなるの?新しくなるの?寂しいなあ。

  • モモパイン より

    2025年7月7日

    昔、本屋さんあった時、立ち読みしてた。美味しいカレー屋さんあったような。
    また行きますね。

  • weinner より

    2025年7月7日

    関内駅まで演奏してるのよかった!!
    セルテのこと忘れないよ。

  • ポッターくん より

    2025年7月7日

    10代の頃、ここで初めて自分の洋服買いました。
    若い頃の思い出が無くなるのは寂しいけど。次があるのも楽しみです。

  • kasumi より

    2025年7月7日

    お店で使うドレス、可愛いのがいっぱいあって、みんなに褒められた!
    間に合ううちに可愛いの探しに行こ。

  • Booニャン より

    2025年7月7日

    Booタンファンです。いつもセルテの玄関の前にあるBooタン人形を見るのを楽しみにしていました。
    子供と一緒に写真を撮って、楽しく踊っているBooタンやギターを持っているBooタンが大好き!
    もうBooタンに会えないのかな~

  • アヤちゃん より

    2025年7月7日

    周りは新しいショッピングセンターになっても、なぜかセルテに来るとホッとしていました。
    いつまでもこの昭和レトロ感が好きだったな。。。ありがとう、セルテ♡♡♡

  • yamamoto より

    2025年7月7日

    HAC、ダイソー、スーパーあおば、コージーコーナーがあって、駅前で便利で助かりました。
    長い間お疲れ様でした。

CERTEの仲間たち

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セルテ中山館長

今年で58年になる、このセルテの建物管理運営に携わっております。
お客様が安心安全で、ご利用いただけるような環境を整えるということを、常に心がけてきました。
こういう機会で、建物として閉じるという形になったことに対して、いろんな思いが浮かびますが、昭和、平成、令和と長く続けてこれたことを嬉しく思います。

お世話になった皆様に感謝を申し上げます。

セルテ徳間支配人

58年を迎えるセルテという建物で、皆様に長きにわたって支えていただきましたことを、心より感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。
これからグランドフィナーレを迎えるにあたり、これからもセルテが心に残るように全力で努めてまいります。

どうぞ最後までよろしくお願いいたします。

ヤンキイス石野社長

1、セルテにはいつから
昭和46年、高校2年の時にセルテの前身である横浜センタービルの1階にあった東宝堂(後にS48~トーホーカップ、父親のお店)でアルバイトとして入ったのが 始まりです。

2、セルテでの思い出
一言で表せば「青春がここにあった」ですかね。食事をするのも何をするのもこのセルテに全てがあったから楽しかった。 特に、センタービルの5階・6階の名店食堂街と呼ばれた階には、天ぷら(天信)、寿司(玉寿司)、ピザ(ジロー)、日本料理、中国料理、ちゃんぽん麺(三熙)、蕎麦、カレー、かつ、ステーキ、スイス料理も入っていて、真ん中には洋食・喫茶の不二家と一流処がそろった名店食堂街があって、そこが一番の印象深い思い出。 そして、僕がここで商売を始めたのは昭和54年25歳の頃で、その年に所帯も持ち、結婚式の二次会なんかも自分の店でやって 楽しかったな。

3、テナントとの思い出
40年くらい前は、みんなテナントと仲が良くて他所のレジの点検をしたり売り上げも厳しく競争しあったり店長会も充実していた ナショナルチェーン店のノウハウを指導してもらい、うちは個人店舗だったから、売上管理や販促とかいろんな方法とかを 若い僕はたくさん勉強させていただきました。

4、セルテへの思いを一言
セルテが閉館するまで一緒にやり続けて来れた事は、私どもの「誇り」。 今まで「やり尽くしたことは確かかな」と思うのが今の気持ちです。 繋がりとしては、新しいビルが出来ても縁が残っていますから一年に一回でもイベントをやれたらなと思います。

セルテ清掃東園様

1、セルテにいつから
2004年から勤務して、20年くらいになります。
何にも考えずにきたらあっという間に年月が経ちました。
一番の古株ですかね。


2、セルテの思い出
働き始めた時は慣れるのに精一杯でした。
トイレがつまりやすくて大変だったのを覚えています。すぐに直してくださったので、すごく良くなって清掃がしやすくなり、皆で喜んだ思い出があります。
お客さんとの思い出は色々ありましたけど、良い人ばかりで、「これ食べてね」ってちょっとした差し入れをくださったり、清掃している時に「ありがとう」ってお声がけいただいたり、嬉しかったですね。
もちろん、いろんな人はいるので、汚れが酷い時もありましたが「いつも綺麗にしていただいて、ありがとうございます」って言ってくださる方が多かったです。
『これが私の仕事だから』っていう気持ちはありますけど、それが一番、やっぱり嬉しかったですね。
トイレの清掃を1日に3回か4回、夜勤務の人はプラス1回と、「汚れないように」っていう思いで、担当の皆で各階のトイレを常にぐるぐる回っています。

セルテのトイレは、野球の試合なんかがあるとすごい並ぶんですよね。
私がトイレ清掃している時に入ってくるお客様とかで、こちらに気づいて「ありがとうございます」「使わせていただいても良いですか?」って声をかけてくださって、「はい。どうぞ」ってお返事させていただいて、そんな何気ない交流に救われたって感じがあります。 「セルテのトイレは綺麗」と、遠くの方まで伝わってるらしく、川崎や鶴見の方からも聞くんです。
それで、わざわざ野球観戦の道すがら寄ってくださるみたいです。
掃除する方は大変ですけど、そんな遠くまで知れているならやりがいはあります(笑)

3、テナントさんとの思い出
テナントさんも慣れてくると声はかけてくださるし、私たちからもかけたりと、お店の前や、すれ違ったりですけど、お互いに少ないですけど交流できているかなと思います。
長年勤めていると、テナントさんも入れ替わるので、随分お顔が変わりましたね。それも思い出ですね。

特に心に残っていることは、10年くらい前にテナントさんに似顔絵を描いていただいたんです。
それを嬉しくて家に大切に飾ってあってあります。それが一番の思い出ですね。
ちょうどタイミング良く、お願いを快く受けてくださり、嬉しかったですね。

また毎日、館内のいろいろな季節の装飾やBooタンのぬいぐるみなどを見て回っていますから、
「あら?この部分がない?」とか気づいたり、埃をはらったりと、ある意味で誰よりも見守っていましたね。

4、セルテへの思い
閉館してしまうのは、やっぱり寂しいですね。
セルテがあったから、長く勤務ができましたし、他の施設だったら、こんなに長く働けませんでした。
清掃は立ったり座ったり、いろんな動作がありますから、健脚で頑張ってます。
ちょうどいいタイミングなので、ビルが閉じるのと同じように私も一区切りしようかなと思っています。
でも「生活の一部」と感じるくらいに毎日セルテで過ごしてきましたから、セルテ自体が閉まってしまうってなると寂しいですよね。
あと何か月でテナントさんがいなくなっちゃうと思うと、寂しくなるのが今の心情です。

最後までお客さんからも喜ばれるように、清掃を頑張ってしていきたいと思っています。
ありがとうございました。

エベレストセルフキッチンラメス料理長

1、セルテの思い出
セルテビルは関内駅からとても近くとても便利で食材の買物やショッピングがしやすい場所でした。

2、印象に残っていること
一番印象に残っているのは、やはり横浜スタジアムで試合があった時の賑わいです。たくさんのお客様が来店されてとっても活気がありました。
だんだんリピーターのお客様も増えていき本当にありがたく思っています。

3、テナントとの思い出
セルテビルには、たくさんのテナントさんがいてラーメンを食べに行ったり、 居酒屋でごはんを食べたり、1階のお店で買い物をしたりといろいろと
お世話になりました。どのお店も、思い出深いです。

4、セルテへの思い
横浜からも近くとてもお世話になったセルテ、半年後にはビルが終わってしまいますが、 工事が終わってまた皆さんと何かしらの場で再会できたら嬉しいなと思っています。
それを楽しみに、セルテ最後のクローズの日までまだまだ賑わってもらえるように 美味しい食事をご用意してお待ちしています。
ありがとうございました。

日本開発株式会社元総支配人逆瀬和郎様

1、セルテの思い出
三十年近く勤めた銀行から初めて行った職場なので、文化の違いをまず感じました。
赴任当初は通勤が湘南新宿ラインない時代で毎日がしんどいなとは思いました。

2、印象に残っていること。
会社分割です。理屈は知ってましたが、無論自身で携わったことはなく、勉強になりました。驚きの連続でした。大株主さんに頭を下げて歩いたことも、懐かしい。

3、テナントとの思い出
・ベイスターズサービス
横浜ベイスターズのOB方との接触は新鮮でした。

・せんたあ画廊 大袈裟に言えば、セルテの文化の象徴でした。ここで知遇を得たプロ・アマの作家の方々とは、今でも音信する方もおられます。

・ヤンキィス
私が退職した後で開店された12Fのライブハウスで、同級生のトロンボニストのジャズライブを開かせて頂き、26回、よく続きました。

4、セルテへの思い
銀行で務めた30年弱、セルテの後勤めた会社もありましたが、皆同じように私なりの努力をしたつもりです。但し、保守的な性格ですから、昨日あったままに明日もあって欲しい質です。 よって終了は非常に残念です。

株式会社 F.U.V. 小笠原社長

1、セルテに携わったのは
確か20年くらい経ちますかね。
セルテの塔屋看板などが赤になった時の大規模修繕の時に現場監督としてきました。
それ以降、ここの監督としてお仕事をやらせていただいてます。
大規模修繕の工事に入っている時は、10階に事務所借りて、そこでほとんど寝起きしてましたよ。
その頃に、地下に「サッポロ亭」」というラーメン屋がありましたね。よく食べに行ってました。

2、セルテの思い出
大規模修繕の時は大変でしたね。我々バックヤードの人達が活躍する時って、変なんですが記憶に残るのは大変な話になっちゃうんですよね。
台風が来たり、外壁とかはその当時ゴンドラにのってあっちこっち指示したりとか。
それと同じくらい館内の修繕も徹底的にやらないとこは無いくらい工事をしました。
だから、いい意味で、思い出っていうと本当に大変なことばかりでしたかね。
3、一番印象に残っている事
店舗で漏水があった時かな。大騒ぎでした。スタッフ全員で水かきをしました。
それから、煙騒ぎやダストボックスの確認もありました。でも、大きい事故もなくここまで来れたんでね、何よりです。
設備や建設とかね、外壁はもちろん、ほとんどのお店の中へ入って仕事していました。
これまでの外壁の変遷とか、周囲の街並みの変化とか、館内のいろんな場所に思い出が染みついているので、感慨深いです。

4、セルテの思い出
私は高校2年生の時に、ここが横浜センタービルとしてオープンした日に来ているんですよ。
その頃は、伊勢佐木町にしかショッピングセンターなんてなかったですからそれが関内駅前にできるっていうことになって、もうみんなの注目の的でね。
かなり衝撃的な話だったんですよ。周囲にはこのビルも高い建物が無いので目立っていましたね。
まさか、大人になって直接かかわるなんて思わなかったですよ。
そのご縁があるので、終わってしまうのは寂しいような感じがしますけど、新しいビルが建った時には、また初日に見に来るのを楽しみの1つにしています。
きっと、その日はすごく嬉しくなるんでしょうね。
自分の人生の思い出の1つが増えるんじゃないかなと、それまで元気でいなくちゃと思っています。
職業柄、僕の活躍がないままで終わるのが一番のフィナーレですね。
無事に、最後まで笑顔で終われたらと思います。

はんこスーパー高橋社長

1、セルテにはいつから
10年くらい前かな。 12月に出店するのに、いろんな駅を回って探していて最初はセンター南のあたりにほぼ決まりそうになっていたんだけどご縁があってこのセルテになったんですよ。

2、セルテの思い出
横浜DeNAベイスターズの球団の人が印鑑を作りに来てくれて外人選手さん用の実印など大切な印鑑をつくりに来てくださった。 印鑑屋は、1階だから良かったです。入りやすく気軽に来れるみたいな、ここに印鑑屋があるな。って思えるような場所で良かった。
お客さんにもいろんな人がいてね。この商売をしていると、どんな職業をしているかって話が進んで、人との巡り合いが楽しかったです。
ありがとうございました。

IGGY HANDS GYMS 青木様 矢田様

1、セルテにはいつから
青木(男性ボクシングトレーナー):約4年前、2021年10月くらいだったかな。ちょうどコロナがまだ収まっていない時ですかね。 僕はこのお店がオープンする時に初めて静岡から来た場所が、このセルテっていう場所だったんで、すごく思いがありますね。 ここに来て、一番最初に行ったのが上の階にあるラーメン横丁さんです。そこでご飯を食べていた記憶がありますね。 なので、横浜で最初に立ったのがセルテなんで、僕にとっては横浜と言えば「セルテ」ですね、(笑)
矢田(女性トレーナー):私にとっては、セルテはジムとの関わりがあったことから始まったので、人と繋がれたのがセルテかなって思います。 ジムに行った後にセルテで買い物したり、反対にセルテに用事で来た人がジムに来てくれたりなど、 人との繋がりやご縁を感じられる思い出です。いろんな人と出逢えました。

2、お客様との思い出や印象に残っていること
矢田:印象‥さっき言ったこともそうですし、何だろう?
青木:そうですね。ほとんど僕は、この建物にいるので、生活全部がセルテみたいというか、衣食住全てですかね
矢田:衣食住、住まで(爆笑)
青木:そう。何だったら、住んでいるんじゃないかって思われているんで(笑) 特に印象に残ってるのが、最初ここに来た時、知り合いも友だちも誰もいなくて、独りぼっちだったんで、 孤独と闘っていたんですけど、やっぱり会員さんとかも増えて、いろんな知り合いが増えて、つながりもできていって、 それが全部が僕にとって思い出なんです。はい。
矢田:何で、いつも最後に良い風に言おうとするんですか(笑)
青木:ふっと出てくるんですよ。
矢田:上手いですよね~。私は、そうですね、老若男女、いろんな人と出会えたので、 やっぱり自分が普段関わらない人と関わったりとか、知らない業種の人とか、いろんな人と出会えたので、 さっきと重なりますけど、ホント人との繋がりですかね。 お客様といろいろと繋がれたので、すごく嬉しいです。本当に幅広い年齢層なので、下はキッズから、上は70代の大人までいるので。
青木:軽い運動的な感じで、ガシガシ運動するっていうよりも、身体を動かすくらいで、やってもらっていますね。 時間によりますけど、グループごとが基本で、マンツーマン、セミパーソナルみたいなのもありますけど、 基本はみんな来た人で集まってやるっていう感じなんですけど。マンツーマンになる時もあるってことで、お得ですね。

3、他のテナントさんとの思い出
青木:僕は、やっぱり飯をよく食いに行くんで、一番行ってるのは、ラーメン屋の真砂家ですね。 あとボアトゥン、エレベストセルフキッチンですかね。横浜の最初に行ったお店がセルテですから。 たぶん一番行っているのが真砂屋ですかね、足りなくなったらライス追加したり、地下のスーパーあおばに行ったり、フル活用しています。
矢田:ジムの会員さん達が、上のバーベキューあるじゃないですか、そこで大人数で利用できるので楽しんだりとか、 セルテの色々な施設を利用したりなどして、みんなでつながりを持ってとかが、テナントの思い出っていうですかね。
青木:そうなると、やっぱり僕が、「セルテの一番の通」じゃあないですかね。

4、セルテへの思いを一言
青木:繰り返しになるんですけど、僕が一番最初に来たところが、このセルテなんで、「僕のアナザースカイ」ですかね。
矢田:俺のアナザースカイって(爆笑)。こんなんで大丈夫ですかね。 私は、寂しいですけど、新しくなって、またそこで思い出をつくっていけたらなと。 横浜にはいるのでずっと。ちょっと寂しいですけどまた新たな一歩という事で、一緒に作り上げていきたいですね。
青木&矢田:これからも盛り上げていくので、頑張ります!ありがとうございました!

設備アセットライフ山本室長

1、セルテにはいつから
2010年の5月1日からこちらにお世話になっています」。約16年です。

2、セルテの思い出
印象に残っているのが、2011年3日11日の東日本大震災の時ですね。これが一番思い出に残っています。
その日は、私は休みだったんですけど、翌日の出勤するために、電車が動いていないところもありましたし、迂回路や駅間を歩いたりと、普段の交通の便利さを実感しながら、それがもう大変でしたね。
それで、やっとこさセルテに到着したっていう記憶があります。
セルテの建物自体は問題なかったんですけど、インフラ部分、排水管とかがボロボロになっちゃって、それでもう何ヶ月もあげて排水管とかをやったのが、すごい記憶があるんです。それが一番記憶にありますね。


3、テナントさんとの思い出
日常業務が裏方なんで、色々あってもインパクトはなかったですね。
設備関係なんでテナントさんとは少なからず関わりはありました。

思い出というか記憶にあるのが、6Fでの火事騒動ですね。
「火事になった」と電話が来て、急いで出勤したら消防車が20台位、はしご車も来てました。
その日、急遽泊まるよう指示がきました。
私も人生で初めての体験でした。
でも結局は火事では無く、外にいる人がセルテの煙突から黒い煙がでているのに気づき、通報してくださったったのですが、ただ煙が出ていただけでした。
それでも消防車が来て、はしご車から屋上に登りダクトに放水したりしていくつかのテナントさんは水浸しになり大変でした。
ただ本当の火事ではなかった事がせめてもの救いでした。


4、セルテへの思い
セルテの仕事が、サラリーマン生活で一番長く勤めさせていただきました。
私は、もともと造る方の分野でした、その造られた場所で設備を管理してきたので、だいぶ違うなって、感じられる仕事だと思いました。
もっともっと長く勤めるつもりでいましたし、まだ実感は無く上手く言葉にはできませんが、最後の日までセルテの設備管理を安全におこなっていきたいと思っています。
ありがとうございました。

設備アセットライフ角田様

1、セルテにはいつから
平成元年からですかね。だから1989年からの36年間勤めています。
セルテがちょうどリニューアルした時ですかね。いろんな管理会社がセルテに携わっていましたが、ずっと残っているのは私だけかなと思います。

2、セルテの思い出
セルテの2階とつながっていた「歩道橋」が思い出に残っています。
JRとつながっていて、雨にも濡れずにセルテを行き来できるっていう画期的なブリッジでした。
今は無くなってしまったんですが。
あと昔は、ここらへんで一番高いビルっていうのがセルテしかなくてね。
ビルの屋上が珍しいからってのもあるし、周りから見られないからってドラマのロケ撮影で使われたりしてましたよ。
当時だと黒木瞳さんや堂本光一さんのドラマ撮影がありましたね。
セルテの館内だと2階とか、最近では映画も撮りましたね。

テナントさんも有名どころが揃っていました。
ルノワールや、築地植むらとか、いろいろありましたね。
12階のテナントさんも入れ替わりましたし、会員制のお店もあって、当時は、力道山も来てましたよ。
横浜ベイスターズ優勝の時も、セルテの前の通りを凱旋して、くす玉やビールかけとか。
ここらへんを覚えているのはうちでも1人か2人しかもういないかな。いろいろな歴史があったんです。
セルテの中もいろいろ変わりました。

3、セルテへの思い
もう、セルテに勤めてから35年がたちましたけど、いろんな思い出があります。
昔は屋上にサウナがあったんですよ、ボイラー室の名残が今も残っています。
その後のビアガーデンもあり、セルテのいたるところに大なり小なり思い出が残っています。
いろんな設備管理会社がセルテに携わってきましたけれど、セルテの設備を分かっているからと何とかずっと残れて、最後まで続けられることは、ありがたいことなんじゃないかなと思っています。
最後まで、よろしくお願いします。

あおば総合治療院飯野院長

1、セルテにはいつから
私が、このセルテに来て丁度5年ぐらいでして、この店舗はすでにあったのですが、大船院から移動して来ました。

2、セルテの思い出
最初に、ここに来た時がコロナに入った年だったので、店が入れ替わりしていた時です。
建物の中とかも少し変わっていった感じがしたかなっていうのが、こちらに来て最初の印象でした。
そんな時に6階のレストランで勤めていた方が、弊院に施術に来ていた。
というところから自分はセルテに関わっていったという形です。
そのご縁で、そのお店にお昼とか食べに行ったりとかしてたんですけど、閉店してしまって、 繋がりが無くなって寂しかったこともありました。
あとは、お店とかも独特な雰囲気があるお店が多いので、ヤンキイスさんや、カレー屋さん、タイ料理屋さんには、 よく昼ご飯を食べに行ってます。
そうするとやっぱり、そんな大きな商業施設じゃないので、 顔見知りになるというか、そこの部分は商店会のアットホームな感じがするところかなって思いますね。
今の時代というよりは、商店街が建物になったような感じがして、古き良きではないですけども、 そういうのを感じさせてくれるビルだなって思います。
ですから、 率直に残念ですよね、無くなるっていうのは。
あとは、やっぱり他のテナントの従業員さんと、休憩室とかで本当顔見知りになるので、 そこで世間話じゃないですけども、 今ちょうど腰が痛いんだよとか、じゃあ来てくだいみたいな、そんなこともありますね。本当に、こうアットホームですよね。

3、お客様との思い出
どちらかというと、私は地域密着という方の方が多かったんですけども、こちらはビジネス街でもあるので、 比較的関わり方とかは淡泊な感じですかね。
もちろん深く関わる人もいますし、地域密着になりそうででならないみたいな。
だけど、その中で深く関わった方とかは、近くの良いお店とかを教えてもらったりとかして、そこから、そのお店の方と顔見知りになって、うちに通って来るとか。
あと駅前だから来やすいですし、立地はベストかなって思います。

4、セルテへの思い
時代がやっぱり変わっていくから、時代の流れで無くなってしまうのかなって思いますけれど、 この建物に入った時、「The昭和」って感じますよね。建物がなくなるのは、寂しいですね。
ぼくは、あぶない刑事が好きでしてね、撮影とかでセルテの周りが映っていると、知っている場所だから嬉しくなったりとかね。
それがセルテが閉まってしまうと、昭和を代表するものが無くなってしまって、街並みとかも変わっていくんだろうなって思うと、寂しくはありますよね。
古くからのお客様もそうですけど、テナントの皆さんも思いがそれぞれあると思うので、話を聞いていると本当に熱い思いが伝わってきますからね。
うちの院の漢字が「思」って掲げているんですけど、思いやりのある施術で施術するためには、相手のことを知らなければいけない。
相手の立場を想像する。相手をリスペクトするっていう事を院の文字で掲げてやっているので、毎月百人単位のお客様を施術させてもらっています。
今後も、引き続きよろしくお願い致します。 ありがとうございました。