思い出募集

思い出投稿

  • ルカオ より

    2025年11月4日

    ハートいっぱいのぶーたんを見て胸が熱くなりました♥︎♥︎
    楽しいイベント、素敵なクリスマスツリー☆☆
    今までいっぱいありがとうございました

  • よん より

    2025年11月4日

    毎年、素晴らしいクリスマスツリー☆を楽しみにしていました
    ブータン♥︎も、かわいかった

  • tao より

    2025年11月4日

    長い間お疲れ様です。
    毎年のクリスマスツリー楽しみでした。

  • ミーちゃん より

    2025年11月6日

    セルテ正面玄関のBooタンが、赤いハートになったね♥︎キラキラしていてとっても綺麗♥︎
    1階のMIZUHOのATMがあった所がセルテ思い出コーナーになっていてBooタンの写真スポットも出来てたから一緒に写真を撮ってきたよ。
    お別れなんて寂しいな~

  • ゆうき より

    2025年11月11日

    小学生の頃、夏休みに父に連れられレストラン街にあったぎんざスエヒロでのランチは当時の私にとっては、ご馳走でした。
    黒い富士山の溶岩でステーキを焼いてアツアツのまま食べたなあ。
    その後、ベイスターズファンになり今はなき関内駅直結のエスカレーターを上り、右側にあったザ・ベイスターズにはよく行きました。
    今のハマスタにあるグッズショップと違って、試合がない日やオフシーズンはガラガラだったなあ。福袋も本当にあまりものの寄せ集めみたいで当時のほうが楽しみでした。
    またザ・ベイスターズの奥にあったスポーツカードショップミントで箱の中から、目ぼしい野球カードをあさったり、ガラスケースに入ってるサインカードやジャージーカードを羨望の目で見つめたり。
    なくなるのは物凄く寂しいですが、思い出は胸にしまっておきます。いままでありがとう!セルテ!!

  • キラキラ より

    2025年11月12日

    横浜B.BSTREET!!
    素敵なアーティストさん、素敵な時間、素晴らしい音楽に出逢えた大切な場所☆
    忘れられないライブとステージがここにはありました。胸がいっぱいになります。
    やったー!!最高ー!!感動ー!!を本当にありがとうございました♥︎
    天国に一番近いライブハウス★

  • 永遠バウアー★ より

    2025年11月17日

    石井琢朗選手の2000本安打記念ボール??やベイスターズグッズを沢山購入させて頂きました!58年間ありがとうございました☆

  • スモールリバー より

    2025年11月18日

    1967年から58年、誠に有難う

  • じょーろ より

    2025年11月19日

    1970年頃、センタービルの地下の「フードランド」が当時としては珍しく深夜1時くらいまで営業していて、海岸通りに住んでいた我が家は夜中に散歩がてら買い物によく行ってました。
    また伯母が近くに住んでいたので、センタービルでおもちゃやら本をよく買ってもらっていました。

  • えのさん より

    2025年10月22日

    セルテの中にTBSラジオ横浜支局がありまして、支局長として4年間勤務していました。ちょうどTBSがベイスターズのオーナーだった頃で、ヤンキイスでオニオンリング食べながら試合観て盛り上がったのは忘れられません。ヤンキイスの石野社長のダンディさはもちろんのこと、奥様がとてもチャーミングで素敵だったなあ。ありがとう、セルテ!

  • 風子 より

    2025年10月18日

    本当に長い間、利用させて貰いました。多分オープニングの頃からだと思うので、生活の一部と言っても過言ではないくらいです。若い頃はkiddy landへ足繁く通いました。近年ではスポーツ・ジムやダイソー、高齢の母親の洋服や1Fのお店へ孫へのプレゼントにおもちゃを買いに行ったり。クローズしてしまうのは本当に寂しいです( TДT)。長い間、どうもありがとうございました。

  • おぐまる より

    2025年10月17日

    まだ私が3歳ぐらいの頃、恐らく1990年代かな。母がよくセルテのレストラン街に当時カレー屋さん?みたいな飲食店があってよく連れてきてもらって、お子様プレートを食べた思い出があります。いつも忙しい母と唯一、一緒にご飯を食べてました。店員さんもいつもよくしてくれて。思い出すだけで涙が出ます。今も用事で関内に行く時はぷらっとセルテに寄ります。だいぶ雰囲気は変わりましたがなんとなく懐かしい雰囲気を感じてました。今までありがとうございました。思い出は引き継ぎ心にしまっておきます。

  • 古月 より

    2025年10月17日

    職場が近くにあり、昼食や、息抜きにクレーンゲームを楽しんでました!
    なくなってしまうのが寂しいです。
    長い間お疲れ様でした。

  • ちぢこ より

    2025年10月15日

    センタービルの頃から、お世話になってました。
    喫茶店も洋服屋さんも先輩がバイトしててよく行きました。ライブハウスも行きました。本屋さんでも働きました。
    何よりも家族とたまの日曜日の外食が楽しみでした!本当に本当に寂しいですが、本当に本当に永いことお疲れ様でした!

  • よし より

    2025年10月10日

    若かりし頃待ち合わせの場所は決まって『セルテ』前。 セルテ内のお店でショッピングを楽しみ中華街で食事をし、またセルテに戻って文明堂のカステラをお土産に帰宅するのがルーティンでした。つい先日もセルテに立ち寄り店内をぶらぶらしながら時代の流れを感じておりました。関内セルテは私の青春の1ページを彩る場所でした。

  • MCBT より

    2025年10月9日

    まだ多分「横浜センタービル」という名前で関内駅の横から陸橋でつながっていた頃、「BOOKSキディランド 横浜関内店」という本屋さんがあってよく行っていました。横浜大洋ホエールズのショップもありましたよね。近年は「関内bookバザール」を利用していました。なくなるのは残念です。ありがとうございました!

  • かげ より

    2025年10月5日

    今は亡き父が、勝はなというとんかつ店をやっておりました。幼い自分は日曜日になると父に会いに朝からセンタービルに行き、入り浸りでした。当時あったスエヒロ、キディランド、ネクタイ店の店員さんにとても可愛がられたのを憶えております。自分の幼少期の思い出がたくさん詰まった大事な場所です、いままで大変お疲れ様でした。

  • ちろまま より

    2025年9月10日

    センタービルだった頃、今は亡き母と築地玉寿司や当時はまだ珍しかったピザハウスで食事をした事は懐かしい思い出です。
    本屋さんや「トラベルカフェ」に寄るのがいつも楽しみでした。
    本屋さんが無くなってからも「DAISO」「HAC」「コージーコーナー」と、関内に行くたび必ずどこかしらに寄っていたのに寂しくなります。

  • コウキ より

    2025年9月10日

    とても気軽に利用出来ていました。デパートみたいに肩肘張らずに。月桃荘でも練習したし、ライブハウスでもやったし、ラーメン屋もよく行ったし、飲食店も利用したし、芳林堂にもよく行ったし、ダイソーもハックも。婚活バーも利用したし、あおばもよく行ったし、あとトイレも利用させていただきました。そういえばローリングストーンズのチケット取るために夜中から並んだこともありました。
    なんか、あるのが当たり前で呼吸するように利用していました。皆さんにもそれぞれ沢山の思い出があると思います。
    無くなるのはまるで身体の一部が無くなるようでとても寂しいです。
    でも、前に進んでいかないとですよね。これから関内駅前はまた大きく変わると思いますが人に愛されるような施設にしていただきたいです。

    今まで本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

  • デデリン より

    2025年9月6日

    セルテはずっと続くと思ってたからすごくさみしいです。居酒屋もレストランも地下のあおばも全部利用しました。1番好きだったのは本屋さんです。思い出一杯詰まってます。さみしいなぁ。今までたくさんの思い出をありがとうございます。

  • さめちゃん より

    2025年9月3日

    ヤンキィスさんには本当にお世話になりました。
    野球好き仲間と(時にはひとりでも)美味しいお料理を堪能したのはもちろん、
    ベイスターズの似顔絵展をさせていただいたご縁で、推し選手と公開デート(笑)からの毎年恒例になった宴や、ご家族が観戦に来られた時も利用したり、
    楽しく盛り上がった思い出しかありません。

    今年末でフィナーレ。。寂しくなりますが
    ありがとうございました!

  • MP より

    2025年8月28日

    20年ほど前に、改修前の関内駅北口から今は無いセルテ2階へ直通のエスカレーターに乗ってすぐ右手のベイスターズグッズショップに何度も行ったのを覚えます。当時は唯一の球団直営ショップだったと記憶しています。ベイスターズとは切っても切り離せない大切な場所でした。今では1階の雑貨・古本屋さんの一角に懐かしいベイスターズの本や新聞やグッズが売っているのに名残を感じます。関内という地に根差した建物が無くなることは本当に寂しいです。今までありがとうございました。

  • なべし より

    2025年8月25日

    子供の頃、ハマスタに行く前は必ずベイスターズショップに行ってました。カードショップもあったかな? 今ではベイスターズはとても強くなりました!沢山の思い出をありがとう!!(*^◯^*)

  • うーたん より

    2025年8月19日

    ハマスタにプロ野球見に行く度に、早くハマスタに行ってグッズ買って時間が空くとはま寿司や、ダイソーに行ってました!無くなってしまうの超寂しいです。

  • マシンガン より

    2025年8月19日

    CERTEでの横浜ベイスターズのペアチケットプレゼントに応募したところ、当選してハマスタへ観戦に行きました。2004年6月5日の対阪神戦です。鈴木尚典選手がサヨナラ3ランでベイスターズの勝利という最高の思い出ができました。ありがとうございました。

  • あべっちむ より

    2025年8月19日

    地元が北海道の旭川の自分の学生時代の夢はセルテのベイスターズショップに行くことでした。25年前に夢が叶ってその記憶は今でも忘れることはありません。セルテがあったからずっとベイスターズが好きでいられました。本当にありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。

  • おおたまち より

    2025年8月18日

    夏になると入口でうちわを配布していた時期がありました。 ホッシーとBooタンのうちわを毎年夏になると棚から出して使っていますが、貴重な思い出の品になりました

  • たかひろ より

    2025年7月24日

    階にあったギャラリー、柳原良平先生の個展には毎度お邪魔しました。 そこで購入したもの。1月から12月まで月ごとに並んでいる中、私の誕生月「4月」の「マティーニ」が待っていてくれました。大事な家宝です。

  • クロノス より

    2025年7月22日

    東南アジア料理が大好きな夫婦で、タイ料理やベトナム料理のお店が貴重でした。当時結婚前の嫁と、横浜デートでよくいきました。 神奈川新聞の花火大会や、横浜の花火大会の際に、地下のあおばで焼き鳥やらのお惣菜もお世話になりました。

  • お元気君 より

    2025年7月16日

    無くなってしまうのは寂しいです。ライブ盛り上がっていたとすごい噂でした。ファイナルは色々お得そうなので何度も足を運びたいと思います。

  • ビッグ より

    2025年7月14日

    ベイスターズのグッズショップがあった時が懐かしいです

  • Booたんの友達 より

    2025年7月8日

    毎年ステキなクリスマスツリー?が楽しみでした???今までありがとうございました???Booたんのお出かけ日記も楽しかったよ~ あと半年、みんなの笑顔と一緒に頑張ってね~

  • tao より

    2025年7月8日

    クリスマスツリー見たかったなー。

  • ハミング より

    2025年7月8日

    よく芳林堂書店で本や文房具を買わせていただきました。家族イベントのケーキや食事、父の碁会所、地下のスーパー、レンタルデスク、100均、薬局、服類、アクセサリー…いろいろお世話になりました。駅近で便利でした。寂しくなります。ありがとう。

  • 12月は至るところに より

    2025年7月8日

    12月になるとエスカレーターを使って、他のフロアに行くと赤だったり青だったり色んなクリスマスツリーがあったな~。音楽に因んだものや可愛いのやブータンもいたり!

  • 関内っ子 より

    2025年7月7日

    関内駅の下に大岡川が流れていた頃から、センタービルに行きました。
    なんか寂しいなあ。ありがとうセルテ!

  • ベイスターズ命 より

    2025年7月7日

    忘れもしない、1998年のベイスターズ優勝!セルテ前で盛り上がったのが、忘れられない思い出です。今年も盛り上がりたい!

  • ディスコおやじ より

    2025年7月7日

    センタービル時代からあったディスコ「カウベル」。青春の思い出です。
    背伸びして大人ぶって、カッコつけて、突っ張って、楽しかった。

  • ピカリンリン より

    2025年7月7日

    楽器を習いに通ってます。レトロだけど駅前で便利。
    残念無念だなあ、無くなるの….

  • 大魔神くん より

    2025年7月7日

    ハマスタ行く前に、地下のスーパーで飲み物食べ物仕入れて、
    試合後6Fでワイワイするのが定番コースでした。来年からどーしよー?

  • はまっ子ケンちゃん より

    2025年7月7日

    無くなるの?新しくなるの?寂しいなあ。

  • モモパイン より

    2025年7月7日

    昔、本屋さんあった時、立ち読みしてた。美味しいカレー屋さんあったような。
    また行きますね。

  • weinner より

    2025年7月7日

    関内駅まで演奏してるのよかった!!
    セルテのこと忘れないよ。

  • ポッターくん より

    2025年7月7日

    10代の頃、ここで初めて自分の洋服買いました。
    若い頃の思い出が無くなるのは寂しいけど。次があるのも楽しみです。

  • kasumi より

    2025年7月7日

    お店で使うドレス、可愛いのがいっぱいあって、みんなに褒められた!
    間に合ううちに可愛いの探しに行こ。

  • Booニャン より

    2025年7月7日

    Booタンファンです。いつもセルテの玄関の前にあるBooタン人形を見るのを楽しみにしていました。
    子供と一緒に写真を撮って、楽しく踊っているBooタンやギターを持っているBooタンが大好き!
    もうBooタンに会えないのかな~

  • アヤちゃん より

    2025年7月7日

    周りは新しいショッピングセンターになっても、なぜかセルテに来るとホッとしていました。
    いつまでもこの昭和レトロ感が好きだったな。。。ありがとう、セルテ♡♡♡

  • yamamoto より

    2025年7月7日

    HAC、ダイソー、スーパーあおば、コージーコーナーがあって、駅前で便利で助かりました。
    長い間お疲れ様でした。

CERTEの仲間たち

TOP

セルテ中山館長

今年で58年になる、このセルテの建物管理運営に携わっております。
お客様が安心安全で、ご利用いただけるような環境を整えるということを、常に心がけてきました。
こういう機会で、建物として閉じるという形になったことに対して、いろんな思いが浮かびますが、昭和、平成、令和と長く続けてこれたことを嬉しく思います。

お世話になった皆様に感謝を申し上げます。

セルテ徳間支配人

58年を迎えるセルテという建物で、皆様に長きにわたって支えていただきましたことを、心より感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。
これからグランドフィナーレを迎えるにあたり、これからもセルテが心に残るように全力で努めてまいります。

どうぞ最後までよろしくお願いいたします。

ヤンキイス石野社長

1、セルテにはいつから
昭和46年、高校2年の時にセルテの前身である横浜センタービルの1階にあった東宝堂(後にS48~トーホーカップ、父親のお店)でアルバイトとして入ったのが 始まりです。

2、セルテでの思い出
セルテに全てがあって楽しかった。 特に、センタービルの5階・6階の名店食堂街と呼ばれたフロアには、一流処がそろった名店があったのが一番の印象深い思い出。 現在の店舗「ヤンキイス」を始めたのは昭和54年25歳の頃で、その年にした結婚式の二次会も自分の店でやって楽しかった。 一言で「青春がここにあった」場所です。

3、テナントとの思い出
40年くらい前は他店のレジを覗きに行ったり、売り上げも厳しく競争しあったり店長会も充実していた。 ナショナルチェーン店のノウハウを指導してもらい、売上管理や販促とかいろんな方法を若い時にたくさん勉強させていただきました。

4、セルテへの想いを一言
セルテが閉館するまで営業を続けてこれたことは、私どもの「誇り」です。 今まで「やり尽くしたことは確かかな」と思うのが今の気持ちです。繋がりとしては、新しいビルが出来ても一年に一回でもイベントをやれたらなと思います。

セルテ清掃東園様

1、セルテにいつから
2004年から勤務して、20年くらいになります。
何にも考えずにきたらあっという間に年月が経ちました。
一番の古株ですかね。


2、セルテの思い出
働き始めた時は慣れるのに精一杯でした。
トイレがつまりやすくて大変だったのを覚えています。すぐに直してくださったので、すごく良くなって清掃がしやすくなり、皆で喜んだ思い出があります。
お客さんとの思い出は色々ありましたけど、良い人ばかりで、「これ食べてね」ってちょっとした差し入れをくださったり、清掃している時に「ありがとう」ってお声がけいただいたり、嬉しかったですね。
もちろん、いろんな人はいるので、汚れが酷い時もありましたが「いつも綺麗にしていただいて、ありがとうございます」って言ってくださる方が多かったです。
『これが私の仕事だから』っていう気持ちはありますけど、それが一番、やっぱり嬉しかったですね。
トイレの清掃を1日に3回か4回、夜勤務の人はプラス1回と、「汚れないように」っていう思いで、担当の皆で各階のトイレを常にぐるぐる回っています。

セルテのトイレは、野球の試合なんかがあるとすごい並ぶんですよね。
私がトイレ清掃している時に入ってくるお客様とかで、こちらに気づいて「ありがとうございます」「使わせていただいても良いですか?」って声をかけてくださって、「はい。どうぞ」ってお返事させていただいて、そんな何気ない交流に救われたって感じがあります。 「セルテのトイレは綺麗」と、遠くの方まで伝わってるらしく、川崎や鶴見の方からも聞くんです。
それで、わざわざ野球観戦の道すがら寄ってくださるみたいです。
掃除する方は大変ですけど、そんな遠くまで知れているならやりがいはあります(笑)

3、テナントさんとの思い出
テナントさんも慣れてくると声はかけてくださるし、私たちからもかけたりと、お店の前や、すれ違ったりですけど、お互いに少ないですけど交流できているかなと思います。
長年勤めていると、テナントさんも入れ替わるので、随分お顔が変わりましたね。それも思い出ですね。

特に心に残っていることは、10年くらい前にテナントさんに似顔絵を描いていただいたんです。
それを嬉しくて家に大切に飾ってあってあります。それが一番の思い出ですね。
ちょうどタイミング良く、お願いを快く受けてくださり、嬉しかったですね。

また毎日、館内のいろいろな季節の装飾やBooタンのぬいぐるみなどを見て回っていますから、
「あら?この部分がない?」とか気づいたり、埃をはらったりと、ある意味で誰よりも見守っていましたね。

4、セルテへの想い
閉館してしまうのは、やっぱり寂しいですね。
セルテがあったから、長く勤務ができましたし、他の施設だったら、こんなに長く働けませんでした。
清掃は立ったり座ったり、いろんな動作がありますから、健脚で頑張ってます。
ちょうどいいタイミングなので、ビルが閉じるのと同じように私も一区切りしようかなと思っています。
でも「生活の一部」と感じるくらいに毎日セルテで過ごしてきましたから、セルテ自体が閉まってしまうってなると寂しいですよね。
あと何か月でテナントさんがいなくなっちゃうと思うと、寂しくなるのが今の心情です。

最後までお客さんからも喜ばれるように、清掃を頑張ってしていきたいと思っています。
ありがとうございました。

エベレストセルフキッチンラメス料理長

1、セルテの思い出
セルテビルは関内駅からとても近くとても便利で食材の買物やショッピングがしやすい場所でした。

2、印象に残っていること
一番印象に残っているのは、やはり横浜スタジアムで試合があった時の賑わいです。たくさんのお客様が来店されてとっても活気がありました。
だんだんリピーターのお客様も増えていき本当にありがたく思っています。

3、テナントとの思い出
セルテビルには、たくさんのテナントさんがいてラーメンを食べに行ったり、 居酒屋でごはんを食べたり、1階のお店で買い物をしたりといろいろと
お世話になりました。どのお店も、思い出深いです。

4、セルテへの想い
横浜からも近くとてもお世話になったセルテ、半年後にはビルが終わってしまいますが、 工事が終わってまた皆さんと何かしらの場で再会できたら嬉しいなと思っています。
それを楽しみに、セルテ最後のクローズの日までまだまだ賑わってもらえるように 美味しい食事をご用意してお待ちしています。
ありがとうございました。

日本開発株式会社元総支配人逆瀬和郎様

1、セルテの思い出
三十年近く勤めた銀行から初めて行った職場なので、文化の違いをまず感じました。
赴任当初は通勤が湘南新宿ラインない時代で毎日がしんどいなとは思いました。

2、印象に残っていること。
会社分割です。理屈は知ってましたが、無論自身で携わったことはなく、勉強になりました。驚きの連続でした。大株主さんに頭を下げて歩いたことも、懐かしい。

3、テナントとの思い出
・ベイスターズサービス
横浜ベイスターズのOB方との接触は新鮮でした。

・せんたあ画廊 大袈裟に言えば、セルテの文化の象徴でした。ここで知遇を得たプロ・アマの作家の方々とは、今でも音信する方もおられます。

・ヤンキィス
私が退職した後で開店された12Fのライブハウスで、同級生のトロンボニストのジャズライブを開かせて頂き、26回、よく続きました。

4、セルテへの想い
銀行で務めた30年弱、セルテの後勤めた会社もありましたが、皆同じように私なりの努力をしたつもりです。但し、保守的な性格ですから、昨日あったままに明日もあって欲しい質です。 よって終了は非常に残念です。

株式会社 F.U.V. 小笠原社長

1、セルテに携わったのは
確か20年くらい経ちますかね。
セルテの塔屋看板などが赤になった時の大規模修繕の時に現場監督としてきました。
それ以降、ここの監督としてお仕事をやらせていただいてます。
大規模修繕の工事に入っている時は、10階に事務所借りて、そこでほとんど寝起きしてましたよ。
その頃に、地下に「サッポロ亭」」というラーメン屋がありましたね。よく食べに行ってました。

2、セルテの思い出
大規模修繕の時は大変でしたね。我々バックヤードの人達が活躍する時って、変なんですが記憶に残るのは大変な話になっちゃうんですよね。
台風が来たり、外壁とかはその当時ゴンドラにのってあっちこっち指示したりとか。
それと同じくらい館内の修繕も徹底的にやらないとこは無いくらい工事をしました。
だから、いい意味で、思い出っていうと本当に大変なことばかりでしたかね。
3、一番印象に残っている事
店舗で漏水があった時かな。大騒ぎでした。スタッフ全員で水かきをしました。
それから、煙騒ぎやダストボックスの確認もありました。でも、大きい事故もなくここまで来れたんでね、何よりです。
設備や建設とかね、外壁はもちろん、ほとんどのお店の中へ入って仕事していました。
これまでの外壁の変遷とか、周囲の街並みの変化とか、館内のいろんな場所に思い出が染みついているので、感慨深いです。

4、セルテの思い出
私は高校2年生の時に、ここが横浜センタービルとしてオープンした日に来ているんですよ。
その頃は、伊勢佐木町にしかショッピングセンターなんてなかったですからそれが関内駅前にできるっていうことになって、もうみんなの注目の的でね。
かなり衝撃的な話だったんですよ。周囲にはこのビルも高い建物が無いので目立っていましたね。
まさか、大人になって直接かかわるなんて思わなかったですよ。
そのご縁があるので、終わってしまうのは寂しいような感じがしますけど、新しいビルが建った時には、また初日に見に来るのを楽しみの1つにしています。
きっと、その日はすごく嬉しくなるんでしょうね。
自分の人生の思い出の1つが増えるんじゃないかなと、それまで元気でいなくちゃと思っています。
職業柄、僕の活躍がないままで終わるのが一番のフィナーレですね。
無事に、最後まで笑顔で終われたらと思います。

はんこスーパー高橋社長

1、セルテにはいつから
10年くらい前かな。 12月に出店するのに、いろんな駅を回って探していて最初はセンター南のあたりにほぼ決まりそうになっていたんだけどご縁があってこのセルテになったんですよ。

2、セルテの思い出
横浜DeNAベイスターズの球団の人が印鑑を作りに来てくれて外人選手さん用の実印など大切な印鑑をつくりに来てくださった。 印鑑屋は、1階だから良かったです。入りやすく気軽に来れるみたいな、ここに印鑑屋があるな。って思えるような場所で良かった。
お客さんにもいろんな人がいてね。この商売をしていると、どんな職業をしているかって話が進んで、人との巡り合いが楽しかったです。
ありがとうございました。

IGGY HANDS GYMS 青木様 矢田様

1、セルテにはいつから
青木(男性ボクシングトレーナー):約4年前、2021年10月くらいだったかな。ちょうどコロナがまだ収まっていない時ですかね。 僕はこのお店がオープンする時に初めて静岡から来た場所が、このセルテっていう場所だったんで、すごく思いがありますね。 ここに来て、一番最初に行ったのが上の階にあるラーメン横丁さんです。そこでご飯を食べていた記憶がありますね。 なので、横浜で最初に立ったのがセルテなんで、僕にとっては横浜と言えば「セルテ」ですね、(笑)
矢田(女性トレーナー):私にとっては、セルテはジムとの関わりがあったことから始まったので、人と繋がれたのがセルテかなって思います。 ジムに行った後にセルテで買い物したり、反対にセルテに用事で来た人がジムに来てくれたりなど、 人との繋がりやご縁を感じられる思い出です。いろんな人と出逢えました。

2、お客様との思い出や印象に残っていること
矢田:印象‥さっき言ったこともそうですし、何だろう?
青木:そうですね。ほとんど僕は、この建物にいるので、生活全部がセルテみたいというか、衣食住全てですかね
矢田:衣食住、住まで(爆笑)
青木:そう。何だったら、住んでいるんじゃないかって思われているんで(笑) 特に印象に残ってるのが、最初ここに来た時、知り合いも友だちも誰もいなくて、独りぼっちだったんで、 孤独と闘っていたんですけど、やっぱり会員さんとかも増えて、いろんな知り合いが増えて、つながりもできていって、 それが全部が僕にとって思い出なんです。はい。
矢田:何で、いつも最後に良い風に言おうとするんですか(笑)
青木:ふっと出てくるんですよ。
矢田:上手いですよね~。私は、そうですね、老若男女、いろんな人と出会えたので、 やっぱり自分が普段関わらない人と関わったりとか、知らない業種の人とか、いろんな人と出会えたので、 さっきと重なりますけど、ホント人との繋がりですかね。 お客様といろいろと繋がれたので、すごく嬉しいです。本当に幅広い年齢層なので、下はキッズから、上は70代の大人までいるので。
青木:軽い運動的な感じで、ガシガシ運動するっていうよりも、身体を動かすくらいで、やってもらっていますね。 時間によりますけど、グループごとが基本で、マンツーマン、セミパーソナルみたいなのもありますけど、 基本はみんな来た人で集まってやるっていう感じなんですけど。マンツーマンになる時もあるってことで、お得ですね。

3、他のテナントさんとの思い出
青木:僕は、やっぱり飯をよく食いに行くんで、一番行ってるのは、ラーメン屋の真砂家ですね。 あとボアトゥン、エレベストセルフキッチンですかね。横浜の最初に行ったお店がセルテですから。 たぶん一番行っているのが真砂屋ですかね、足りなくなったらライス追加したり、地下のスーパーあおばに行ったり、フル活用しています。
矢田:ジムの会員さん達が、上のバーベキューあるじゃないですか、そこで大人数で利用できるので楽しんだりとか、 セルテの色々な施設を利用したりなどして、みんなでつながりを持ってとかが、テナントの思い出っていうですかね。
青木:そうなると、やっぱり僕が、「セルテの一番の通」じゃあないですかね。

4、セルテへの想いを一言
青木:繰り返しになるんですけど、僕が一番最初に来たところが、このセルテなんで、「僕のアナザースカイ」ですかね。
矢田:俺のアナザースカイって(爆笑)。こんなんで大丈夫ですかね。 私は、寂しいですけど、新しくなって、またそこで思い出をつくっていけたらなと。 横浜にはいるのでずっと。ちょっと寂しいですけどまた新たな一歩という事で、一緒に作り上げていきたいですね。
青木&矢田:これからも盛り上げていくので、頑張ります!ありがとうございました!

設備アセットライフ山本室長

1、セルテにはいつから
2010年の5月1日からこちらにお世話になっています」。約16年です。

2、セルテの思い出
印象に残っているのが、2011年3日11日の東日本大震災の時ですね。これが一番思い出に残っています。
その日は、私は休みだったんですけど、翌日の出勤するために、電車が動いていないところもありましたし、迂回路や駅間を歩いたりと、普段の交通の便利さを実感しながら、それがもう大変でしたね。
それで、やっとこさセルテに到着したっていう記憶があります。
セルテの建物自体は問題なかったんですけど、インフラ部分、排水管とかがボロボロになっちゃって、それでもう何ヶ月もあげて排水管とかをやったのが、すごい記憶があるんです。それが一番記憶にありますね。


3、テナントさんとの思い出
日常業務が裏方なんで、色々あってもインパクトはなかったですね。
設備関係なんでテナントさんとは少なからず関わりはありました。

思い出というか記憶にあるのが、6Fでの火事騒動ですね。
「火事になった」と電話が来て、急いで出勤したら消防車が20台位、はしご車も来てました。
その日、急遽泊まるよう指示がきました。
私も人生で初めての体験でした。
でも結局は火事では無く、外にいる人がセルテの煙突から黒い煙がでているのに気づき、通報してくださったったのですが、ただ煙が出ていただけでした。
それでも消防車が来て、はしご車から屋上に登りダクトに放水したりしていくつかのテナントさんは水浸しになり大変でした。
ただ本当の火事ではなかった事がせめてもの救いでした。


4、セルテへの想い
セルテの仕事が、サラリーマン生活で一番長く勤めさせていただきました。
私は、もともと造る方の分野でした、その造られた場所で設備を管理してきたので、だいぶ違うなって、感じられる仕事だと思いました。
もっともっと長く勤めるつもりでいましたし、まだ実感は無く上手く言葉にはできませんが、最後の日までセルテの設備管理を安全におこなっていきたいと思っています。
ありがとうございました。

設備アセットライフ角田様

1、セルテにはいつから
平成元年からですかね。だから1989年からの36年間勤めています。
セルテがちょうどリニューアルした時ですかね。いろんな管理会社がセルテに携わっていましたが、ずっと残っているのは私だけかなと思います。

2、セルテの思い出
セルテの2階とつながっていた「歩道橋」が思い出に残っています。
JRとつながっていて、雨にも濡れずにセルテを行き来できるっていう画期的なブリッジでした。
今は無くなってしまったんですが。
あと昔は、ここらへんで一番高いビルっていうのがセルテしかなくてね。
ビルの屋上が珍しいからってのもあるし、周りから見られないからってドラマのロケ撮影で使われたりしてましたよ。
当時だと黒木瞳さんや堂本光一さんのドラマ撮影がありましたね。
セルテの館内だと2階とか、最近では映画も撮りましたね。

テナントさんも有名どころが揃っていました。
ルノワールや、築地植むらとか、いろいろありましたね。
12階のテナントさんも入れ替わりましたし、会員制のお店もあって、当時は、力道山も来てましたよ。
横浜ベイスターズ優勝の時も、セルテの前の通りを凱旋して、くす玉やビールかけとか。
ここらへんを覚えているのはうちでも1人か2人しかもういないかな。いろいろな歴史があったんです。
セルテの中もいろいろ変わりました。

3、セルテへの想い
もう、セルテに勤めてから35年がたちましたけど、いろんな思い出があります。
昔は屋上にサウナがあったんですよ、ボイラー室の名残が今も残っています。
その後のビアガーデンもあり、セルテのいたるところに大なり小なり思い出が残っています。
いろんな設備管理会社がセルテに携わってきましたけれど、セルテの設備を分かっているからと何とかずっと残れて、最後まで続けられることは、ありがたいことなんじゃないかなと思っています。
最後まで、よろしくお願いします。

あおば総合治療院飯野院長

1、セルテにはいつから
2021年頃に大船院から異動して来ました。

2、セルテの思い出
異動してきたときはコロナに入った年だったので、店が入れ替わりしていた時です。
建物の中も少し変わっていった感じがしたかなっていうのが、こちらに来て最初の印象でした。
そんな時に6階のスタッフの方が施術にきてくれていたりして、セルテに関わっていったという形です。
そのご縁で、そのお店にお昼とか食べに行ったりしていましたが、閉店してしまって寂しかったこともありました。
独特な雰囲気があるお店が多いので、ヤンキイスさんや、カレー屋さん、タイ料理屋さんには、 よく昼ご飯を食べに行ってます。
そこで顔見知りになったり、休憩室で他のテナントさんのスタッフと顔見知りになって、テナント同士を行きできるアットホームな感じがするところかなって思います。
今の時代というよりは、商店街が建物になったような感じがして「古き良き」ではないですけども、 そういうのを感じさせてくれるビルだなって思います。
ですから、 率直に残念ですよね、無くなるっていうのは。

3、お客様との思い出
今までは地域密着という方の方が多かったんですけども、こちらはビジネス街ということもあり、比較的関わり方とかは淡泊な感じがします。
もちろん深く関わる人もいますし、地域密着になりそうででならないみたいな。
だけど、その中で深く関わった方とかは、近くの良いお店とかを教えてもらったりとかして、そこから、そのお店の方と顔見知りになって、うちに通って来るとか。
あと駅前だから来やすいですし、立地はベストかなって思います。

4、セルテへの想い
時代がやっぱり変わっていくから、時代の流れで無くなってしまうのかなって思いますけれど、 この建物に入った時、「The昭和」って感じます。
建物がなくなるのは、寂しいですね。
「あぶない刑事」が好きで、撮影とかでセルテの周りが映っていると、知っている場所だから嬉しくなったりします。
それがセルテが閉まってしまうと、昭和を代表するものが無くなってしまって、街並みとかも変わっていくんだろうなって思うと、寂しくはありますよね。
古くからのお客様もそうですけど、テナントの皆さんも思いがそれぞれあると思うので、話を聞いていると本当に熱い思いが伝わってきますからね。
うちの院の漢字が「思」って掲げているんですけど、思いやりのある施術で施術するためには、相手のことを知らなければいけない。
相手の立場を想像する。相手をリスペクトするっていう事を院の文字で掲げてやっているので、毎月百人単位のお客様を施術させてもらっています。
今後も、引き続きよろしくお願い致します。 ありがとうございました。

コレクションズS 伊藤店長 スタッフ遠藤様

1、セルテにはいつから
伊藤店長:最初は1階に出店していて、1999年の2月からで27年ほどになります。 これまで、スタッフも変わらず、一緒にずっと長く続けていますので、 思い出深いことはたくさんあります。

遠藤:私は店長とのご縁で同年の11月にここに来ました。 38歳で入社して、今63歳になりました。あっという間ですね。

2、セルテとの思い出、心に残ること、印象など
伊藤店長:抽選会の時に、うちのお客様が商品券を当てて、洋服を購入されて商品券が当たって、それでまたご来店して購入されて、また当たるみたいな。何往復もしてお買い物をしてくださったこと。 いつになったら終わるんだろって(笑)。そんな面白いことが記憶にありますね。

遠藤:昔は、お客さまも現役で働いている方が多かったですし、 そこからずっと繋がっているお客さんもいらっしゃっいます。もう27年くらいです。 ここでのお客さまも10年近くお付き合いをさせていただいてます。 改めて長いお付き合いのお客さんがいるのが印象深いです。 皆様、このセルテがあるからこそ、っていう思いがあるのだともいます。

伊藤店長:うちは、一人ひとりのお客様と密接な関わりがあって。 信頼されて、ご自身のファッションをお任せしていただいていますし、 ファッションだけではなく、悩み相談みたいなね。 洋服は二の次で、お話ができるところみたいながあるんです。 そこが、他のお店とは違う良さなのかなって。 どちらかというとお馴染みの顧客中心でやっているので、お客さん自体が長いですね。 毎日のようにいらしたり、電話でお話したり、 年齢を重ねていく上で自分に合うファッションって見つけることが難しいけど、 ここでは顧客のお客様それぞれのサイズも好みも分かっているからこそのアドバイスができますし、 その人に合うものも自動的にだすこともできますから、お客様に喜んでいただけますね。 悩みを話に来て、スッキリしてお洋服を購入して、心身共にリフレッシュして綺麗になって帰っていく、 洋服にはそういう魔力みたいなのがあるんでしょうね。 いらっしゃる時の顔と帰って行かれる時の顔、違いますからね。 それを見るのが嬉しいです。

遠藤:この前も、7、8年ぶりに来店してくださったお客様がいらっしゃって。 お話しできて、すごく喜んでくださいました。こちらも嬉しくて、この商売のやめられない理由の1つです。 コロナの時は、お客様も外出できなくてね。 やはり直接会って、お話して、お洋服を購入してっていう交流が。 とても大切なことですよね。

3、テナントとの思い出
昔は、年に1回、忘年会があって、テナント同士の交流もできていました。 知り合ったテナントさんの閉店の際、お得意様をご紹介してくださいました。 その方とは今もつながっています。

4、セルテへの想い
遠藤:昔、このセンタービルは、関内では凄い場所だったみたいですね。 周りの建物より58年も前から先にここにあったんだなと思うと感慨深いですね。 ここは駅前で立地が最高で、お客様も私たちも便利なのがすごく良く、 ご年配の方が雨天時に来店しやすいところが良かったですね。 私は、セルテのキャラクターのブータンのファンなので、残りも大活躍してくれるといいなって思っています(笑)

伊藤店長:何とかここまで、大きい病気もケガもせず、元気にセルテでお仕事をやってこれたのが本当にありがたいことです。 もう終わりになってしまうのは寂しく残念だなと思います。 でもまだ、すぐに終わりじゃないですし、お客さんもいらっしゃっるのでね。 お客様皆様とたくさんお話をして楽しんでいきたいですね。 本当にありがとうございました。

ブラックキャット中島社長

1、セルテにはいつから
このお店が、平成元年から設立して20年以上続けてこれたことに本当に感謝しています。
ずっと1人でやってきたので、ここまで続けられるとは思っていなかったです。
いろいろなお客さんと交流できて、たくさんの触れ合いの中で長きにわたって続けてきたことに本当に感謝しています。
今時の商業施設に比べると駅前にはある飲食店のビルだと思っている人が多かったと思うし 実際、物販店はちょっと少なかったので寂しい感じでした。
その中で、ずっと何年経っても、二十年経っても来てくれるお客さんもいるので、すごく嬉しいです。
年を重ねていって、なんかセルテ自体が自分の子供みたいな感じになっちゃってね。
そう考えると、こんな長くできてること自体が、ちょっと不思議な気分です。


2、セルテとの思い出
今時のオンラインではなく、直接お客さんの顔を見て、長い時は1人 1時間ぐらいとかお喋りしたり、接客だけではなく 人生相談などもありました。思い出はもう数えきられないぐらいあります。
 20年以上もやっていると、もう人生の 一部のような感じなので、寂しい限りです。
今まで、うちのファンで応援してくれた人や、セルテのお客さんがたくさん来てくれた
お陰で長く続けてこられたと思います。
でも、コロナが明けてやっとこれからっていう時に終わるは、ちょっと悔しいっていうか残念です。
昔のものがどんどん無くなっていくっていうのが、もったいないなって思います。
 この20年近い年月は、二度と味わえない経験をたくさん出来ましたし、お店を続けてきて良かったなって思います。
本当にたくさんの皆様に「ありがとうございました」とお伝えしたいです。


3、セルテへの想い
このセルテのグランドフィナーレに、立ち会えることが幸せです。
いろいろと人生を過ごしてきた中で、一時はコロナで時間短縮とかあった中でもお客さんは来て下さった。
本当にありがたかったです。
やっぱりブラックキャットさんのドレスが良い。と言ってくださって、ここじゃなくちゃ買えないとか、
自分に合うものを選んでくれるから。と言ってくださり、お客様とのそういう信頼関係に感謝しています。
だから私は、もうちょっと頑張って、最後までダッシュします。
本当にお客さんとの交流が、私にとっては人生の宝ですね。

ルビーティ鈴木社長

1、セルテへの想い
最初はセルテ3階からスタートして35年くらい経ちました。 自分にとってはお店を始めて、いろんなことがありながらも切り盛りしていた最初の頃が思い出深いです。
これからどうするかは、まだ考え中なとこをもありますが、 先ずは、35年間という長い間ずっと来てくださったお客様には感謝の気持ちでいっぱいです。
まだ半年ありますので、最後まできちんと「立つ鳥跡を濁さず」で頑張りたいと思います。

銀座コージーコーナー森田店長

1、セルテとの思い出を振り返り
当店は1995年の9月にオープンし、約30年の間多くのお客様にご愛顧いただき数度のリニューアルを経て営業を続けてまいりました。
営業に関して、これまで多くの従業員、セルテの関係者の皆様、多くのお客様にご支援いただいたことで、クリスマスを始めとしたイベント催事、コロナ禍といったトラブルも乗り越えることができたと思います。
当店に関わっていただいた全ての方に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

2、印象に残っていること
コロナ禍の際は屋外に面している店舗の為感染対策は難しい部分もありましたが従業員やお客様のご協力があり乗り越えることができました。

3、お客様との思い出
ベイスターズファンのお客様が、選手の誕生日に当店でお買い上げいただいたケーキを選手ご本人様に差し上げた様子が話題になり、しばらくそのケーキが毎日完売し、大きな反響があったこと

4、テナントとの思い出
当店が1階の屋外に面している為、あまり日々の関わりはありませんでしたが事務所の方や館内関係者の皆様にご利用いただく機会も多くありました。
皆様ありがとうございました。

5、ご自由にセルテへの想いを一言
58年もの長い間大変お疲れさまでした。
多くのお客様に愛されたセルテが無くなってしまうのは寂しいですが、今後の再開発で新しくリニューアルし関内駅前のシンボルとして戻ってくる日をお待ちしております。

はあとねいる関内店安藤晋平様 スタッフ一同

開店当初からお世話になった場所がなくなるのは、とても寂しく名残惜しいです。
沢山のお客様にも出会えた場所、ここで過ごした時間と思い出はこれからも大事にしていきたいです。

B.B.STREET/月桃荘スタジオ亀田社長

1、セルテとの思い出を振り返り
97年から働きだして、人生の半分以上を過ごしたビル。
思い出が多すぎて書き切れない。
良くもわるくも全てが思い出。

2、印象に残っていること
震災の時に、どこにも行けなくなった近くに居たお客様や知人がなぜかセルテ前に集まった事

3、お客様との思い出
多すぎて書き切れないです。

4、テナントとの思い出
テナントは我が家同然、スタッフは家族。
生活を過ごした場、人生一部。

5、ご自由にセルテへの想いを一言
長い間、関内のセンターご苦労様でした。
出来ればもっと長くあってほしかったです

関内BOOKバザール劒重様

横浜センタービル(現セルテ)が出来た時はよく覚えています。
高校生の時に関内駅前に大きなショッピングセンターができてディスコもあると…ものすごい注目を浴びてたので、よくお買い物に来てました。
思い出は楽しかった話でいっぱいです。当時、若者が集う施設が他になかったので、セルテはとても眩しい存在で注目の的でした。

再開発でこの街が変わる、古き良き時代の関内から、また、新しい時代に入って行く関内については、ほとんどの人が寂しいと言いますね。街は再開発を繰り返しながら、どんどんその時代にあった形に変貌していくわけで、良いのだけれど、やっぱりセルテがなくなると寂しいって思います。とにかく思い入れ深く生きている世代ですので。

来年の春にはDeNAのボールパークができると大きく球場側が変わりますね。
同じようにこの地の発展も期待して、「ここも素晴らしく変わる、変わってほしい」というのが本当の気持ちで、それを見守っていければいいかなと思っています。
私の若い頃に関内が素晴らしいところであったように、これからの若い人たちにとってもこれからの関内は素晴らしいスポットになるのでしょう。

このセルテビルは今では機能的ではないし、時代時代で施設を付け足してきて、いろんなところで古く歴史を感じるような場所がたくさんあります。昔からのテナントさんがあって、バックヤードなんか最近のビルはもっと商業ビルとしてよくできてるんだけど。なんとなく落ち着く場所。テナントさん同士仲良いし、ほっとする場所だったりしますよね。

それと驚き嬉しいのが、若い頃から関内界隈で長く暮らし仕事している私ですが、「セルテに初めて来た」と、出会う人がまだまだいるってことです。今日来たお客さんもセルテに初めて入ったと言うし、館内を歩くコースによっては、この店の前を通った事がなくて初めて私の店に来たって人が本当に多いので、そこが驚きです。このセルテのおかげで私のお店のお客さんや交流する友達の裾野が広がったし、たくさんの出会いがあった。
ここは私の生活の中心です。休館日でも出勤して働いていますよ。
たくさんの出会いがありました。全部セルテがあってのお話です。本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。まだグランドフィナーレまでありますから、それまではこれまで通り生活の一部として一生懸命に歩んで、新たな出会いに喜びたいと思います。

ボアトゥン アドゥン様

1、セルテにはいつから
2009年から、このセルテに来ました。今年で18年になります。長くここでお店をやらせていただいてとても嬉しいです。タイの本国の覆面調査の人が来て味の合格をもらえたし、タイの政府からも認めらたお店なので、日本でお店を出せることを誇りに思っています。

2、セルテの思い出、印象に残ること
21歳くらいの時に日本に来て、27年が経ちました。18年前にセルテにお店を出すために、初めて来たとき、たくさんの人で賑わう素晴らしい所だなと感じました。
最初は、お店を営業していてと分からないや、不安なこともたくさんあったけど、他のテナントさん達から、ここのお客さんについて聞いたり、日本の飲食店のやり方や姿勢などをいろいろ教えてもらったりしながら、たくさん勉強させてもらって、今日までくることができたことは自信になっています。
18年前は、まだタイ料理は有名でなく人気もあまりなかったのですが、ここ7〜8年前くらいからブームになって、たくさんのお客さんが来てくれルようになりました。昔はパクチーが苦手な人も多かったのが今では人気になったり、特に女性の方たちにはタイ料理が好まれているみたいで来客も多いです。リピーターも多くなりました。皆様に満足してもらえるように日々日本人好みの味に改良を重ねて、お客さんが美味しいと喜んでくれる様子を見ると、ずっとやってきて良かったなと思います。
特に嬉しい思い出は、お店がスタートして間もない15年来の常連様が、お子様を連れ立ってご来店されるのを見て、長い年月と成長を感じられたことです。こんなに長いお付き合いができるなんて思っていなかったです。

3、セルテへの想い
この18年間、お客さんと仲良く親しみをを感じていたので、セルテが無くなるのはとても寂しく、一緒に働いてきたスタッフと思い出話しをします。でも、街が新しくなって、新たな賑わいが始まるのは素晴らしい事だと思います。セルテの最終日まで当店は営業していますので、是非もう一度、美味しいタイ料理を食べにきてください。来年にはセルテでの思いを引き継いだ新たなお店をオープンします。セルテでお世話になった皆様が遊びに来ていただけると嬉しいです。

ハート&ソウル原社長

1、セルテの思い出
私にとって本当に、横浜センタービル(セルテ)は憧れの場所でした。
関内周辺に、ランドマークとして聳え立っていたのが横浜センタービルでしたから。青春時代を過ごした街が関内ですね。当時は、他に高い建物もなく一番高いビルでした。
上層階の窓からは海が広がり、上大岡の方までも見えました。
特に夜景がものすごく綺麗でしたね。
アルバイトをして、お給料が入るとすぐにお金を握り締めて、12階にあった「カウベル」というディスコに遊びに行きました。いつもたくさんの人で溢れ、バンド演奏もあって楽しかったです。一番の思い出は「カウベル」ですね。
少し大人なってからは、確か上層階にあった綺麗なお姉さんのいる店へも行きましたね。(笑)
当時センタービルには、店内の船から生簀の魚を釣って料理する居酒屋があったり、 上層階には高級会員制クラブ「エスカイアクラブ」、中2階に喫茶店「ルノアール」などがありました。喫茶店にはよく行ったし、本当にこのビルにはたくさん来ていました。
きっと、人生の楽しい時間をここで過ごしてきた人がたくさんいて、セルテは皆の思い出の場所じゃないですかね。僕にとっても、とても思い入れが強いところです。
セルテに自分のお店を出すのが夢でしたから。その夢も叶い、本当に感謝してます。

2、セルテライブの思い出
セルテライブには本当に感謝ですね。セルテの正面テラスでライブをして、多くの人に聞いてもらったのが良い思い出です。
演奏していると、旧知のお客さんや、懐かしい人に思いがけず再会できた事が何度もあって、とても嬉しかったのを思い出します。歌っていると「久しぶり!」なんて声をかけてきてくれたんです。
特にセルテ50周年記念LIVEは盛り上がりました。たくさんの聴衆の前で、盛り上がりすぎてギターを持ったまま、前へ飛び出して歌ってしまいました。(笑)
セルテLIVEでは、もっと凄い事できたんじゃないかなって思いもあるので、セルテが終わってしまうのはやはり寂しいですね。

3、セルテへの想いを一言
「感謝」ですね。やっぱり、ここで青春を送れたことも感謝、夢だった自分の店を開けたことも感謝、セルテには良い思い出がいっぱいです。関内には思い入れがあるので、名店があった場所やこのセルテが無くなり、街が変わっていくと思う、期待とは裏腹にちょっと寂しさを感じますね。なんか上手く言葉にはならないですけど、青春時代から育ててくれたセルテに感謝、「ありがとう」と言いたいです。

ウィンク吉本オーナー

今から27年前に他への店舗展開を考えていて、ショッピングセンターに入りたいと思っていたところでした。
セルテへ話を持って行きましたら、タイミング良くスペースが空いていたこともあり、出店がとんとん拍子で決まり、2階の現在のダイソーのあたりに今のお店の倍の広さで出店しました。

最初は苦労しました。半年ぐらいで、辞めてしまおう、なんて思ったこともありました。当時は現在よりもファンシーな商品が多かったのが客層とマッチしてなくて、それが苦戦の原因かと思います。
それから商品構成を少しずつ替え、アロハグッズや豹柄グッズのような「流行もの」が結構売れたので安定することができました。
10年ぐらい経つと中だるみした時期があり、ちょうど現在のスペースが空いたので、それならと心機一転、1階へ店舗を移しました。2階で11年、1階で17年も経ちます。

現在は、雑貨を中心に、傘、ルームウェアなどアパレル他を販売していています。
セルテ抽選会へ景品として提供したグッズもとても好評を得ていて嬉しいです。
品揃えや、お客様に喜ばれるニーズのある商品を揃えてウィンクファンというか、新しい客層が広がっていったことがこれまで続けてこれたことだと思います。

セルテ商店会でも長い間、広告宣伝部の部長職を続けてまいりました。商店会にはいい思い出がたくさんあります。就任当時の商店会はとても結束力があったと思います。会合後の懇親会では、皆が仲良く語り合ったものです。もちろん今は結束力がないという事ではないですけど、時代でしょうか。(笑)

ウィンクは最大で8店舗を展開していました。
セルテ店はもう少し長く続けたかったなと思います。
他の店舗と差別するわけではないのですが、セルテ店への思い入れが特に強くて、私が店頭に立つのはこのセルテ店だけです。
だからかもしれませんが、開店当初の悔しさを思い出してしまいます。
お店の運営は基礎が大事だと思います。日々、少しずつでも積み重ね、チャレンジして重ねて行ったものが大切だと考えます。だからこそスタート時に苦労したセルテのお店への思いが強いのかもしれません。
残り少ない時間ですが、最後の日まで今まで通り積み重ねながら、お客様と歩みたいと思います。

インフォメーションガールズ 大平様 西沢様 小林様 笠高様

1、セルテのエピソード
インフォメーションは1階にあって、花形でした。
お客さまやテナントの方々との思い出がたくさんあります。
当時はチケットぴあとしてチケット販売も兼ねていたので大変でしたが、時代が今と違って、色々と緩い部分もたくさんありました。
制服もバブル期風でかなりのミニスカートでした。
今ではありえないようなものでしたが、かわいかったです。
年末にあった、セルテの従業員忘年会も楽しかったですね。

2、テナントさんとの思い出
色々テナントさんと一緒にご飯を食べに行ったり、飲み会へ行ったり、
いつも誘っていただきました。一言では言えないくらい、色々なことがありましたが、昔の時代は楽しくて面白かったです。

3、セルテに一言
大平:色々なことがありましたが、若い時の自分の居場所っていうか、未だに2ヶ月に1回ぐらいのペースでセルテの受付の夢を見るくらい思い出深い場所です。無くなるのは寂しくてショックでした。
私にとっては青春時代という感じでした。

笠高:みんないい仲間で、優しくしてもらって、色々と楽しかったです。たくさんの刺激を与えてもらって…まさに青春を楽しませてもらいました。私にとってはこの時代が一番楽しくて、今でも皆さんと会えたり、テナントさんが覚えていてくださったり、嬉しかったです。
なので、とても残念です。

小林:初めての社会人が、「セルテ」っていうビルで。
本当にみんなに育ててもらって、とても良くしていただいたので、全部楽しかったです。私も未だに当時の夢をみます。
無くなっちゃうのはすごく寂しいけど、「いつもずっとここに自分はいる!」みたいな感じです。
一言で言うと「青春!」でした。

西沢:時代がどんどん移り変わっているけれど、このセルテという建物自体は全然変わってなくて。
自分のライフスタイルが変わっていっても、セルテに寄ってみると雰囲気が全く変わってないから、自分がいた時にそのまま戻れる空間にタイムスリップしたような気持ちになれてすごく良かったです。
セルテがなくなるのは、寂しいなって思います。
なので、何かの形であったことを思い出せたら嬉しいなって思います。

フリージア 磯田 社長

1、セルテにはいつから
セルテに入って14年ほどたちます。もともと違う場所でやっていましたが、ご縁があってこちらに来ました。祖父母が問屋をしていたからなのか、大学を出て、ずっとアパレルを40年間やっていたから、思えばやっぱり服飾関係ですね。そういう血を引いているのかなと思います。

2、セルテの思い出、印象に残っていること
みなとみらいのホテルでの総会や50周年にハート&ソウルでの祝典が楽しい思い出です。面白いことでいうと、関内駅とセルテの2階を繋いでいた連絡橋があった時に「渡り終え式」があって、館長や田中さんとか皆でやったというのは思い出です。連絡橋があった時は、雨が降っても関内駅の改札を出てから濡れないでセルテにそのまま買い物に来てくださるお客様が沢山いらっしゃいました。連絡橋があるのとないのとでは全く違いとても便利だったそうです。 駅の改良工事で連絡橋を撤去する事になった事が残念でした。
関内祭りで、皆でお神輿を担いだりして楽しく色々やっていた思い出があります。

3、お客様との思い出
今も、続いて親しくしているお客様もいますし、開店当時から来てくださっているお客様もいらっしゃいますので、ご贔屓にして下さるお客様達を11階のハート&ソウルのライブへお誘いして一緒に行ったりしました。 今でも、変わらずに御来店くださいますお客様皆さまに感謝致しております。

4、テナントとの思い出
テナントさんでは、以前2階のお店でGIBさんとか、今も行っているのはハート&ソウルさんとかいくつかのお店と交流があり仲良くしていました。セルテは、ライブハウスが4店舗も入っていてとても音楽と共にある楽しい商業施設です。 家族で一緒にお店をやっているので、セルテにお店を出した事も家族との思い出の 1つですね。1階にフレッシュネスバーガーがあった時は、よく娘が学校帰りに店に寄ってから食べに行ったりしていました。今は亡き親父や叔母がよく店に遊びに来てくれて、昔の思い出として良い思い出です。 横浜の人間っていうか、地元の人間にとってセルテは馴染み深い場所です。昔は、セルテの前身の横浜センタービルが関内のシンボルだったのでとても親しみを持っていました。私は地元が関内だから、子どもの頃はしょっちゅうここに来ていましたよ。若い時はカジュアルのお店があるから来たりしてそこら辺を自転車で走り回っていました。昔は、この辺りは官庁街でしたし又料亭とかもありました。今はもうビルや駐車場になってしまい、ちょっと寂しいというか、古くて面白味のある地域だったからね。とうとう、この古き良き時代の最後といえるセルテも無くなっちゃうというのは、ちょっと寂しいな。という感じですね。 僕としても、まだ2、3年ぐらいはセルテで店をやりたかったと思います。次のお店も馴染みのあるこの近辺で探したいと思っています。

HACドラッグ 株式会社ウエルシア薬局・セルテ商店会長 髙林誠様

1、セルテの思い出
店舗は2010年3月11日にオープンして約15年。 自身の店舗開発部での最初の契約店舗であり、出店の段取りを覚えた思い出深い場所。 当時のオープニングスタッフ2名が15年たった今でも変わらず勤務していただけていることもあり、馴れ初めのような店舗。ホームに戻ったような感じ。

2、セルテの思い出、印象に残っていること
印象に残っているのは「コロナ」。 ビジネス街から…街から…人が消えてしまった。ビジネス街は特に大変だった。 色々な巡りあわせで最後まで営業できてよかった。

3、テナント様との思い出
セルテ商店会長を務めて7年。 他のテナント様との出会い。 営業スタイルの違う、通常出会うことができないテナント様たちと交流できる大切な機会になった。

4、セルテへの想い
自分にとって契約第一号店舗のビルのフィナーレを関係者として迎えることができたことは光栄。同時に、街が生まれ変わっていくスタートに立ち会えてよかった。

マダムビジュ 児玉社長

1、セルテにはいつから?
2015年出店から10年経ちます。 以前セルテにあったお店「ベルビジュー」の故石井社長と当社社長が、同じ宝飾メーカーさんと取引していて、 そのメーカーさんのご紹介でお世話になりました。 もともとのマダムビジュの店舗は元町プラザの2階だったのですが、他に良い場所がないかと探していた時でした。 たまたま良いお話をいただけたのは、ご縁ですね。 私達は何度もセルテに足を運んで、候補場所を見に行きました。 店舗スペースが希望通りな上、下からエスカレーターを上がって来ると正面にお店が見える 「セルテ一丁目一番地」と言うほどの良い場所!と思いました。 素晴らしい良いご縁の後を継いで、セルテ「マダム・ビジュ」をオープンさせていただきました。

2、セルテの思い出
お客様の層が幅広く、来店されるお客様と親近感がありました。皆様気さくで優しく、 一緒にお食事へ行ったりするなど、お客様との距離がとても近く、良いお客様ばかりで、 家族の様に接していただき本当に楽しい10年間でした。とても感謝致しております。ありがとうございます。 セルテでのお店では、お客様同士でお顔を合わせたり、お喋りをしたりする交流の場でもありました。 地下のスーパーでお買い物をして、そのまま帰りがてら宝石見ていただいて、買ってらっしゃる。 そのようなお客様も結構いらっしゃいました。 セルテは関内駅の目の前ですから、待ち合わせをしている30分ほどの時間で お店に寄って宝石を購入してくださったお客様もいらっしゃいました。 「色々なお客様と知り合えた1階のこの場所で、お店が続けて来れた事はすごく良かった。」と思っています。

3、テナントの方たちとは
テナント同士でも仲良くしています。 お互いのお店でお買い物をしたり、何事もなく楽しく過ごせて、本当にありがたいことでございました。

4、セルテへの想い
まだ、実感がないですけれど、いろいろと楽しい10年間でした。 セルテが無くなってしまうのは寂しいけれど、 素敵なお客様とたくさん出逢えたのでとても嬉しく大きな財産です。 ありがとうございました。

元日本開発(株)渡部義伸様

1、セルテにはいつから?
日本開発に入社したのは横浜センタービルからセルテになってからの1989年です。 営業企画部で13年間在籍しました。

2、セルテの思い出
一番の思い出は、やっぱりベイスターズの優勝の時。そこが一番です。
1998年で、38年ぶりの優勝で、街中すごい盛り上がりで、優勝決定戦時はカウントダウンをしていて、いつ優勝が決まるかドキドキして。
優勝する前からセルテの正面口にステージを組んで、毎日毎日、カウントダウンのイベントをして、くす玉も用意して、振る舞い酒をしたり、お祭り騒ぎみたいな感じでした。13年勤めた中で、そこが一番大きいイベントだったので特に思い出に残っています。
セルテの運営では近年まであったポイントカードを立ち上げたことです。当時、ポイントカードはまだ、主流じゃなかった時に導入したのも1つ大きな思い出。当時は先駆けで、あの時代によくあんなこと出来たなって思います。
あとは、セルテのホームページを作りました。今のように、当たり前に商業施設のホームページが無い時代だったので、がんばって作った事も思い出の1つです。
セルテが終わってしまうのは、残念といえば残念ですけどですけど、仕方がないですよね。時代のながれもありますし。
30代半ばの良い時期に、このビルに携わったっていうのは、自分の今までの人生の中では良い思い出かなと思っています。辞めたあとでも、そのあとの人生においても、とても良い思い出になっています。
ありがとうございました。

サイファーランド 石井社長

1、セルテにはいつから?
2025年5月20日でちょうど7年経ちました。40年来の付き合いでとてもお世話になった不動産会社の会長さんのご紹介でセルテ店が始まりました。以前は現在とは違う仕事でしたが、ご紹介で始めたお店がもう7年半。これも良いご縁と思っています。

2、セルテの思い出
店舗が1階エスカレーター前の良い場所でしたが、予想より少し広かった為、最初は戸惑って色々と苦戦しました。
前職は卸業でしたので、直接お客様と接する販売は今まで経験がありませんでした。
当初は勝手が分からず何を売れば良いのか分からず、対面の接客に慣れてなく、戸惑い悩んだ事もありました。
それでも経験するうちに色々分かって来て今日まで頑張れました。それがとてもいい思い出です。

前職が卸の仕事柄、多種な業者の知り合いが多いので、その縁で様々な商品を仕入れることが出来ましたが
どれくらいの量を発注するかという加減が分かっていなくて、大量に仕入れてしまう失敗もありました。
そのひとつに コロナの時、マスクをまとめて3,000枚を店先に山ほど積んだりしました。
するといつの間にかマスクが商品棚を半分以上占めて、 まるでマスク屋さんみたいになってしまうということもありました。

最初は低単価の物から始まりましたが、 段々と品質の優れた商品を扱った事で、コロナ禍で丁度ニーズがあり、 沢山のお客様に喜んでいただけた事がとても良かったと思います。
他に、ペルシャ絨毯等もご縁のある知り合いから仕入れて販売して、 セルテのお客様に喜んでいただけた事は良い思い出です。

3、セルテへの思い
色々な初めてをセルテでさせていただいた「新しい経験」が出来て良かったなと思っています。
最後まで頑張ってやっていこうと思っています。 ありがとうございました。

元せんたあ画廊 現「AKIRA-ISAO」画廊 佐々木勲様

当時のせんたあ画廊の小澤社長が亡くなっており、私はそこの番頭でしたので、その立場でお話をさせて頂きます。

1、セルテの思い出
当初は横浜センタービルの4階に入居していました。リニューアルに伴って3階へ移転しました。4階の時代っていうのは結構楽しかったというか。セルテの前身の横浜センタービル時代は、横浜の有名どころのお店を誘致して当時でいうファッションビル。その頃、私は美術系の出版社にいた関係で小澤社長と知り合う機会があって、30代のころにお声かけをいただいて、35年くらいお世話になりました。随分と修行させてもらい、楽しかったです。
社長の小澤章っていう人の人格がとてもユニークで。今考えても小澤の下で修行させてもらったのが、一番私にとってはいい修行時代だったと思います。時々、彼を思い出します。素晴らしい人でした。
小澤社長の考え方は、作家を育てなくちゃいけないから、少しでも作家にたくさんあげなくちゃいけないという精神でありました。
現在の画廊名のISAOっていうのは私で、AKIRAというのは、小澤社長の名前で「AKIRA-ISAO」という画廊名にしました。
ですから、セルテは思い出深い、私にとっての「青春時代」です。


2、セルテに印象にのこっていること
こちらはテナント側ですけど、実際はオーナーの日本開発に通って、スタッフたちと非常に仲良く交流がありました。日本開発=横浜センタービルというのは、ファミリーなお付き合いをテナントとオーナーとさせていただきました。
個人的にもスタッフの方々とお付き合いしたり、親近感のある関係でした。
ある時期からサントリーのアンクルトリスで有名な「柳原良平先生」の展覧会を毎年やるようになりました。全国区の方ですから、多種多様なファンの方が展覧会にみえたり、オープニングパーティーでは、画廊の中で飲み放題食べ放題で…もちろん飲み物はサントリーさん提供で。
それを目当てに来る人がたくさんいて楽しかったですね。

3、柳原先生とは、どんなつながりから始まりましたか?またどんな先生でしたか?
最初は、神奈川新聞社の方の紹介です。
楽しい先生です。一言で表せば、豪快。ただ仕事はめちゃくちゃ早いです。
普通、「何を作ろう」と考えることが、柳原先生の場合は無いですね。
考える暇が無いっていうよりも、即アイデアが出てくるっていう。
絶対に締切りを送らせることもないし、きちっとした仕事をしますね。
ただ、自分の作品に対しての管理は無頓着でした。
船にも大変詳しく、グラフィックデザイナーやりながら、イラストレーターで絵本作家、旅行作家とか色々肩書きがあって多才な方でした。

4、セルテの思い出を一言
ビルオーナーである日本開発の社員の人達と大変楽しく過ごさせていただいたというのが、一番では思い出かもしれない。
楽しく仕事をさせていただきました。

セルテ 古屋社長

平素よりセルテをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。

セルテは、1967年の開業以来、関内の駅前に根ざしたファッションビルとして多くの皆さまにご利用いただき、58年間という長い歴史を歩んでまいりました。私どもが本ビルの運営に携わらせていただいたのは、2013年からの約12年間でしたが、その中でも多くの思い出と貴重なご縁をいただくことができました。

弊社はもともとビルメンテナンス業を本業として、兄弟3名による共同経営体制のもと事業を展開してまいりました。セルテとのご縁をいただいた当初は、施設運営の経験も少なく、まさに手探りのスタートでした。それでも、「駅前の施設だからこそ、まずはトイレから変えよう」という想いで、小さなリニューアルを積み重ねてきたことを今でもよく覚えています。

テナントの皆さまとは、イベントや日々のコミュニケーションを通じて少しずつ距離を縮めていくことができました。特に印象深いのは、セルテ50周年の記念イベント。当日はステージでご挨拶させていただきながら、直接名刺をお渡しし、一人ひとりにご挨拶できたことは、何よりの思い出です。

コロナ禍では、多くの店舗がやむなく撤退するなど、困難な時期もありましたが、それでもセルテという場を守り、盛り上げようと尽力してくださった皆さまには、心より感謝申し上げます。

そして今、街全体の再開発という大きな流れの中で、セルテもその役目を終える時を迎えようとしています。私たちにとって、58年の歴史のほんの一部を担ったに過ぎませんが、それでもこの12年間を通じて、関わってくださったすべての方々とともにセルテの物語を紡いでこられたことを誇りに思っております。
 
今回の再開発によって、関内の駅前が歩行者専用道路に生まれ変わるという点が非常に魅力的であると感じております。今後、関内駅前のこの場所には新たな街の姿が生まれますが、「セルテ」という名前や思い出が、皆さまの記憶の中に温かく残り続けることを願ってやみません。いつかこの街を訪れた際に、「ああ、ここにセルテがあったね」と思い出していただけるような、そんな優しい記憶の灯火として残ってくれたらと願っております。

これまでセルテに足を運んでくださったすべてのお客様、テナントの皆さま、関係者の皆さまに、心より感謝申し上げます。
セルテは2025年12月30日のグランドフィナーレに向けて歩みを進めて参ります。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
どうぞ今後とも、この街とともに歩み続ける私たちを温かく見守っていただけましたら幸いです。